こころの世界を読み解く

"生きやすさ"を心理学の知識とともにお届けします。

人生の筋道と僕たちの変化を読み解く。

こんばんは、りょーやです。

お久しぶりです。この1ヶ月、引っ越しが忙しくてサボってしまっていました。笑

また今後は週1以上を目安に投稿を再開していこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

さて、今回のテーマは「人生とパターン」です。問いも結構大きなものになると思いますが、ぜひ考えてみてください。

1. まとめ

 ナラティブセラピー(物語療法)という心理療法では、人生の出来事のある一定のまとまりをプロット(筋道)という。プロットの再解釈や統合をもって、患者の問題解決を図るものである。

 

②人間のプロット解釈は暗黙的に中々変わらない一方、脳や認知処理パターンは日々少しずつ変わっているかもしれない。となると、プロットの再解釈や現在への応用こそが、明日のやりやすさ/生きやすさを生むのかもしれない。

 

2. 問いかけ

これまでの人生を以下のように振り返ってみてください。

①年齢ごとに大きく区分して、各年でおきた最大の出来事を、思いつく年だけで良いので書いてみる

②上で挙げた最大の出来事それぞれについて、「起きた理由/きっかけ」「詳しい内容」「あなたに及ぼした影響」の順に時系列で書いてみる

例えば「2015年に大学合格を果たした」ことを例に挙げるとします。その場合、きっかけには高校の先生に推されて行きたい大学への興味を持ち始めたことがあるかもしれません。そして大学合格の過程には、中々成績が伸びず悩む時期が最後まで続くも、直前期に急に成績が伸び始めて合格を勝ち取れたのかもしれません。また、その合格によってあなたは自分の力で勝ちを得ることを知る、という経験ができたのかもしれません。

これはほんの一例で、しかもまだまだ軽いまとめにすぎませんが、皆さんには人生の中に大きな出来事はたくさんあるのではないでしょうか?

3. 心理学の知識と"生きやすさ"の考察

人生のプロット(筋道)と、その繰り返しという見方

心理療法の1つに、ナラティブセラピー(物語療法)というものが存在します。簡単に言うと、患者さんが自分の人生についてカウンセラーと振り返り、これまでの人生の物語を再解釈し、得た発見を元に問題解決をしていこうというものです。今回はこの理論から、"プロット(筋道)"というものとその解釈の1パターンを主に抜粋していこうと思います。

プロットとは出来事の集合体を刺します。時間軸に沿って人生で起きる出来事同士は、気づかぬところでリンクしていて、そうした過去の集合体が今の僕たちを形成している、という考え方をします。このプロットを、ここでは「繰り返しが起きている」という解釈に基づいて読み解いてみます。

例えば先ほど挙げた大学合格の人(Aさんとしましょう)の例について、この人は部活で良い成績を出すときも大会間近になって急に本調子になり、大会で好成績を出せたとします。この人の人生の物語について、プロット2つは「ギリギリになると力が湧いて良い結果を招く」という類似の関係性を持っていると解釈できるでしょう。

でもそんなAさんも、最近どうやら仕事で不調続きで何もかもがうまくいかなくて...とした時に、人生を振り返ったとします。もしかしたら、このAさんはこれまで「ギリギリになると力が湧いて良い結果を招く」というプロットを暗黙的に盲信しすぎて気がつけばただの怠け者さんになっていた、なんてことがあり得ます。そこでAさんは、「ギリギリになったら力が湧く」ではなくて、「日々の努力が期日や本番間近になると発揮される」とプロットを再解釈してまた明日から頑張れる...、といった具合に、このプロットというものは解釈され直されたり統合されたり、僕たちの日々の中に溶け込んでいます。

たった一人でこんな上手に人生の解釈ができたら困りませんが、「プロット同士の類似性」に着目して、上の問いかけを見つめ直してみてください。

認知処理の経年変化という可能性

一旦プロットのお話は置いて、今度は僕たち人間という生き物の脳と認知に着目してみましょう。僕の推測でしかないですが、端的に言うと、僕たちの脳や認知処理パターンは年を経るごとに変わっていっているかもしれない、ということです。一定時間を超える瞑想(マインドフルネス)を行うと脳の灰白質が肥大するなんて話もありますし、とてつもない過去によって、通常ではあり得ないような人格を持った人がいるなんて話もあります。日々、色んな刺激に触れて生活する僕たちは脳も変化すれば、頭の使い方すなわち認知処理パターンも変化していておかしくないはずです。

また、以前ブログで書いた、意味ネットワーク理論の内容はこの小項目の理解を深めてくれるかもしれないので、一応リンクを載せておきます。

cl-psy-ryoya0617.hatenablog.com

おわりに

上に述べた2つのことを考慮して、こう感じました。僕たちの物事への取り組みやすさ/やりやすさは日々変化しているかもしれないし、昔と同じように物事に取り組んでうまくいくとは限らないかもしれないです。自分の人生のプロットは変わらない一方で、脳の処理パターンは徐々に変わっていく。そしてあるとき、「あれ、おかしい?」を感じ、しんどくなる。こんなときは、人生のプロットを洗い出してその関係性を見つめ直し(信頼できる人と紙に書いてざっと見るのもよいですね)、再解釈/再構築する。そこからあなただからこそのやりやすさ/生きやすさが見つかると、もっと楽しくなるかもしれませんね。

 

ではでは。

 

認知資源と機械利用を読み解く。

こんばんは、りょーやです。

いちいち前置き考えるの時間かかるので今後は無しでいきます。笑

さて、今回のテーマは「認知資源と機械」です。なんやねんそれって思うかもしれませんが、どうぞ最後まで読んでもらえると幸いです。

1. まとめ

 認知資源という概念があり、脳みその一日の体力のようなものを指す。刺激に触れることで消費され、寝ることで回復すると言われている。

 

②機械使用をはじめとして認知資源の節約がなされるが、その節約された認知資源は余っているor不必要に消費されているかもしれない。

 

③どんなことに認知資源を投資したいか、そのために節約できる手法を模索することは、脳やこころを労わる手段になり得る。

2. 問いかけ

やったことベースで、なるべく細かく一日を振り返ってみてください。その際、どれだけの機械(スマホ、PC含む)利用があったのかも思い出せるだけ振り返ってください。

結構時間がかかるかもしれませんが、思い出せるだけで良いので振り返ってみてください。

3. 心理学の知識と"生きやすさ"の考察

認知資源とその消費

認知心理学認知科学の領域では、認知資源(注意資源)という概念があります。これは、例えるならば一日の脳みその体力のようなものです。判断や決断をする時、難しい作業をする時、マルチタスクをする時などを含めて何か刺激を受けると消費され、寝るとまた回復すると言われています。

朝何を着るのか決め、経費関係の書類とにらめっこしてミスのチェックをする時、話を聞きながらメモをとる時などなど...、意外と僕らの生活では認知資源が消費されています。極端な話、習慣以外は全て認知資源を消費する刺激であると言えるかもしれません。

機械の使用と認知資源の消費について

この認知資源という概念を深めるにあたって、日々の機械使用を考慮することが重要ではないかと思いました。というのも、この認知資源の節約には機械使用がとても有用だと言われているからです。例えば、RSSフィードを使って気になる記事やワードでの情報収集を自動化することは、いちいちサイトを開いたり検索かけたりするより圧倒的に効率がいいですよね。こうした認知資源の節約には、機械は間違いなく貢献していると言えるでしょう。すごく当たり前のことなのですが。笑

さて、このことを考えた上で、Webサービスやアプリが溢れかえり、AIスピーカーに話しかけたら様々な行動を実行してくれる現代を考えてみましょう。僕たちが節約し続けるこの認知資源は、一体どこに充てられれているのでしょうか?想像ですが過去を遡ると、先人たちが農具や移動手段を開発し、そのオートメーションが進んだ結果として、彼らは行動や思考の領域を拡大していったと考えられると思います。僕たちはどうでしょうか?

ここからは僕の想像なのですが、現代の僕たちは認知資源を持て余しているor不必要なことに投資しているのかもしれない、と考えています。最初の方に述べたように、ほぼあらゆる出来事に対してヒトは認知資源を消費します。休憩のつもりで見ていた動画は、実は視覚と聴覚を猛烈に刺激している、認知資源消費促進モンスターかもしれません。そこからさぁお仕事/お勉強!と言っても、脳みそは疲れていて中々本領発揮できないかもしれません。

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一日の認知資源をどこに投資するか?

一応念押しなのですが、休憩するなとか動画見るなとか言いたいわけではないです。笑

そうではなくて、一日限られていると言われる認知資源を日々どこにどれだけ投資するのかを考えてみてほしいということを言いたいだけです。例えば、朝着る服で迷う人は前日寝る前に明日着るものを決めてしまう習慣をつけるとかを実践してみると、認知資源の節約になるかもしれないです。(最近、私服にローテーションを決めたり、白シャツしか着なかったりと、色々工夫する人はいますが、そこは人それぞれですね。笑)

他にも色々と方法はあると思いますが、ここではいくつか認知資源節約のための手法を僕なりに出してみたので、よかったら参考にしてみてください。

①細かい決断を減らす:着るものや食べるものの選択をある程度固定してみる

②休憩スタイルの見直し:五感に負担をかける刺激をシャットダウンしてみる

マルチタスクを控える:ながら作業を控え、1つの物事に集中するようにする

ここに挙げたのは本当に一例で、しかもそれぞれの個々人へのフィット具合は千差万別だと思います。自分なりの認知資源の節約方法の確立と、その余った認知資源を本当に充てたいところに充てられるといいですね。

おわりに

今回は、こころよりも脳みそを労ろうというような内容を書きました。多分ちょっと取っつきづらい部分もあるかもしれませんが、こころと脳は密接にリンクしていると言われています。つまり、脳を労わることは回り回ってこころを労わることに繋がると言えます。

なお、認知資源を節約することにムキになって、逆にこころが蝕まれていくのは本末転倒です。自分の感覚で、ここまでならちょっと努力できそうだな、ってところから始めてみると、脳もこころもよりフルパワーで動くと思います。

 

ではでは。

 

感情と思考パターンを読み解く。

こんばんは、りょーやです。今回も読んでくださり、本当にありがとうございます。

最近寒暖差激しいですね。寒暖差は人の自律神経を刺激するらしいので、特にイライラや落ち込みなどに注意したいものですね。

さて、今回は「感情と思考パターン」について考えようと思います。前回の人間関係のお話よりも難しくなるかもしれませんが、よかったらお付き合いください。

1. まとめ

①意味ネットワークモデルでは、言葉(とりわけ単語)は頭の中で結節し合い、その言葉ごとをノード(結節点)という。このことは、感情をノードにした感情ネットワークモデルにも応用されている。 

 

②意味ネットワークモデルにおいて、ある言葉に対する刺激が与えられると、周辺で結節する言葉も活性化する。このモデルを活性化拡散モデルという。

 

③感情ノードは、もしかしたらその体験量によって大きさに個人差があるかもしれない。また、頻度高く活性化される結節点は、どこかのタイミングでダイレクトに感情と誤って結節するのかもしれない。

 

④自分の感情ノードの周辺を見渡すと、もしかしたら誤った結節が見受けられうかも。そんな時は、切り離してより適切な言葉でラベリングして再結節してみよう。

2. 問いかけ

「つらい」という気持ちを思い浮かべた時、その引き金はなんでしょうか?

また「つらい」気持ちの時、どういう行動がよく起きているでしょうか?

日々生きていたら、おそらく何かしら「嬉しい」とか「つらい」とか、様々に感じることがあると思います。それはどんな時に引き起こされているのでしょうか。そして、そんな時、あなたはどんな行動をとるのでしょうか。自分の気持ちの一側面(ここでは、つらい感情をとってみます)を、客観的に見てみましょう。3.の内容を読んだ上で、是非紙とペンを持って描いてみてください。

3. 心理学の知識と"生きやすさ"の考察

意味のネットワークと感情への応用

コリンズとキリアンという学者によって、意味ネットワークモデルが提唱されました。これは、例えば「いちご - 果物 - 栄養豊富」のように、言葉とその意味や関係がつながって認知されているというものです。この理論でいう、「いちご」や「果物」をノード(結節点)といいます。ノード同士は意味の近しさによってその距離(意味的距離)が示されるとも言われています。

また、この派生理論として、活性化拡散モデルというものもあります。ちょっと難しいかもしれません。つまるところは、あるノードに関して刺激が与えられるとその周辺のノードも活性化するという考えです。

以上二つをまとめた図を描いてみました。(僕の適当な世界観なので、内容はあまり気にしないでください。笑)

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上の図では、パンを基点に様々なノードが結節されています。中でも、朝ごはんとかはパンにも結びつき、また牛乳にも結びつくというように、1つのノードが2つ以上に結節することもあります。

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この活性化拡散モデルでは、例えば「牛乳」という単語が耳に入ってきたとします。その時、先ほど挙げたネットワークモデルを持つ人は、牛乳という刺激に結節された他のノードが活性化します。この時、意味的距離の遠いノードはあまり活性化しません。

 

さて、ここまで意味ネットワークモデルと活性化拡散モデルについてお話しました。ここからさらに、バウアーという認知心理学者は意味ネットワークモデルを感情へと応用しました(感情ネットワークモデル、といいます)。感情のノードを規定し、そこに事象が結節していくというものです。

感情ごとの体験量とノードの大きさの関係について

感情ノードについて、おそらくですがその感情を感じた・体験した量に応じて、ノードの大きさが人によって違うのではないかと考えています。つまり、つらい感情をたくさん感じてきた人は「つらい」のノードが大きく大きく膨れ上がっている、ということです。そしてそこにこれまで「つらい」を引き起こした事象がリンクしていって、さらにその事象に色んなことがリンクしていって...。気がつけば、多様な事象に対して「つらい」が引き起こされる...。

このように、本当に人によってまちまちだとは思うのですが、特にエピソードとしてよく残っている感情は、その人の中でかなり大きなものへと膨れているのではないでしょうか。僕の想像でしかありませんが、「つらい」の感情が日々の仕事などで拡大したお父さん像を描いてみました。

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架空のお父さん像の、特に「つらい」を引き起こす事象を2つほど挙げてみました。このうち、責任の方を取り上げて、特に社内コミュニケーションがしんどいと仮定してみましょう。社内チャットが仕事中も仕事時間外でもバンバン鳴り止まず、いついかなる時でも仕事が止まらない...。そんなお父さんには以下のような、誤ったノード同士のリンクが起きてしまうかもしれません。

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 上のような状況になると、もはやチャット通知が鳴るだけで心臓がグッと押し付けられるような辛さが生じたり、責任から逃避しようと衝動的な行動をしたりするかもしれません。

感情ノードからの事象の切り離しとラベリング

ここまでを考えて、1つ思うことがあります。それは、「本当に感情と言葉がフィットするものなのか」を今一度検討し直してみる方が生きやすいかもしれないということです。もし感覚として違うと感じるならば別の言葉をつけて(ラベリングと言います)再記憶する方が心が軽くなるかもしれません。先ほどのお父さんの例を挙げるならば、チャット通知自体は「鬱陶しい」感情であり、「つらい」感情ではない、ときちんと区別してラベリングするだけでも少し楽かもしれませんね。そう自分の頭の中で認知してあげるだけでも、「鬱陶しい」ノードでの処理に変わって、「つらい」を想起する頻度は下がるのかもです。

今一度、どんな時にどんな感情が起きるのかを整理してみると、案外おかしな結節が起きていることがわかるかもしれません。

おわりに

最後にですが、そもそもこの感情の整理ができる人は、こころの状態的に比較的客観視が可能な、落ち着いた人だと思います。中々自分のことに気づくのは難しいかもしれません。だからこそ、自分の大切な人や周囲で苦しんでいる人のこころの整理をお手伝いしてあげて欲しいな...と思って書いてみました。

少々脱線しますが、自分の1日のHPが100だとしたら、その1を誰かに分かち合うような、そんなヒトの関係性が紡げたらいいなぁなんて思います。笑

 

ではでは。 

人間関係とその限界を読み解く。

こんばんは、りょーやです。

多分「はじめに。」から続けて読んでいただいていると思います。ありがとうございます。笑

(あ、まだの人は先に下の投稿を見てほしいです!!)

cl-psy-ryoya0617.hatenablog.com

 

さて、一番最初に扱うテーマは「人間関係」です。「はじめに。」で述べたように、まとめ→問いかけ→考察の順に書いていきます。

1. まとめ

①自分にとっての重要他者を整理すると、自分の社会的ネットワークができる。誰にどんなサポートを日頃頼っているのか見てみよう。

 

②社会的サポートには、一般に「情緒的サポート」「情報的サポート」「道具的サポート」「評価的サポート」の4種類がある。

 

③人との関係性は強い紐帯(頻繁に会う人や強い関係がある人)と弱い紐帯(滅多に会わない人や浅い関係にある人)に分けられると言われている。また、ダンバー数という概念があり、そこでは人間は150〜250人くらいの人としか人間関係を維持できないと言われている。

 

SNSの台頭によって、人間関係の量とその強弱はかなり破綻しかけているのかもしれない。誰との関係が強いのかあるいは弱いのか、また誰に何を頼っていてそれは自分の願望に沿ったものなのか。じっくり見ていくと、もっと生きやすい人間関係図を構築できるのかも。

2. 問いかけ

自分にとっての重要な他者との関係図はどんなものでしょうか?

また、誰から日々どんなサポートをもらっているのでしょうか?

僕たちは、日々いろんな人と関わって生きていると思います。そして、その関わる様々な人々からいろんなサポートを貰って、生きているはずです。そのサポートの強度や種類は、おそらく関わる人によって変わってくるのではないでしょうか? 

3. 心理学の知識と"生きやすさ"の考察

社会的サポートの種類について

人から受けるサポートのことを、社会的サポートと言います。んでもって、これは主に4種類に分類されていると言われています。

情緒的サポート:相談に乗るなど、感情を主な材料としたサポート

情報的サポート:問題の解決に必要なアドバイス・情報を用いたサポート

道具的サポート:お金やサービスなど、形あるものを用いたサポート

評価的サポート:肯定的評価を通したサポート

例えば、家族からはお金の援助と困った時の相談をサポートしてもらっているとしたら、それは①と③に分類されます。また、頼れる上司から仕事上のアドバイスと落ち込んだ時の助けをもらっているとしたら、①と②、そして④でしょうか。(おごってもらっていたら③もかも?笑)

 誰から何をサポートしてもらっているのか、色んな人に対して整理してみると、自分に何が足りないのか、またある人に本当に求めたいサポートの内容が違っている、なんてことが分かるかもしれません。

社会的紐帯とダンバー数

数年に1回の同窓会で会う程度の人と、毎日顔を合わせて生活をする家族とでは、繋がりの糸の強さが違いますよね。この繋がりの糸の強さを社会学では、「社会的紐帯」と言います。このうち、前者のような滅多に合わないような人との関係性を弱い紐帯(ウィークタイ)、後者を強い紐帯(ストロングタイ)といいます。

多分図にしていく中で、案外この人とこんな関係だったのか...と気づかされることがあると思います。あるいは、この人とはもう少し遠い距離感を持って接していく方がいいな、と感じることもあるかもしれません。 

 

また、人類学ではダンバー数という概念が存在します。これは、人間が脳の構造的に他者と人間関係を維持できる人数を指し、その数はだいたい150〜250くらいと言われています。(ここには多数批判はあるのですが、一旦置いておきます。)ここからは僕の想像でしかないのですが、おそらく、このダンバー数で指す人々は強い紐帯の人間関係を持つ人だと考えてよいと思います。この投稿では、それを仮定としておいて考えてみますね。

SNSの台頭と併せての考察

最近本当によくSNSのことが取り上げられますが、ここまででお話ししたことと合わせると、人間関係というものにとんでもない変化が起きているのではないか、と思います。

というのも、僕たちは気がつかないうちに、大量の人間に対して評価的サポートと強い紐帯の関係性を作ろうとしているのかもしれない、ということです。例えば、Twitterでいいねを求める行為は、ある種評価的サポートへの欲求と言えるでしょう。その上、オフラインで会う機会がなくなった人たち(例:小学校の時の同級生)にオンラインで常に繋がれます。つまり、すごく大量の人たちとオンライン上での強い紐帯関係を結んでいるのです。しかもダンバー数の概念を考慮すると、僕たちは150〜250人というキャパシティを超えて大量の人たちに評価的サポートを求める強い紐帯を大量に作ろうとしていると言えるかもしれません。

でも振り返ってみると、本当に僕たちはその人たちからサポートを受けたいのでしょうか?生きるには確かに誰かからの支援がないと成り立たないのは間違いないですが、紐帯やダンバー数を考えて目線を移せば、あまりに大量の人間関係はヒトの心と認識を壊していくのかもしれないです。

 

日頃接する人もそうですし、オンラインで接する人もそうですが、本当にその関係性が正しいものなのか、は問い直してみるとよいのかもしれません。もちろん、だからといってあいつと縁を切れ!!ってわけではなく(笑)、誰とどういう関係でつながって、支え合って生きていこうって決めていくことが大切かもしれないです、ということです。 誰にどんなサポートを求めていて、その量と繋がりはどれくらいの強さがよいのかを少しずつ認識できるようになると、日々の生活が生きやすいものになるかもしれません。

おわりに

冷静に考えて、日々いろんな人と話して関係して生きている上で、家に帰っても遊びに行った時にも誰かに評価や関係を求めるのって、とても疲れますよね。SNSの正しい使い方、なんてよくみますが、多分論点はそこではなくて、「使い手がどんなスタンスを持って使い、誰とどんな関係性を求めているのかを自認すること」が大切なのだと思います。よかったら、今回出た社会的サポートと紐帯そしてダンバー数を観点として、ご自身の人間関係図を描いてみるとよいかもです。そして、また明日からいろんな人たちとどう関わっていくのか、その生きやすさを感じてもらえたら、と思います。

 

ではでは。

はじめに。

 

あなたが最後に体験した感情はなんでしょうか。

 

上司や先輩に怒られて感じた、ショボンとした悲しみ?

気になるあの子から来たLINEを見ての、あの心があたたかくなるような喜び?

どんな言葉でしょうか。

 

自分の感情を振り返ることってあんまりないのではないでしょうか?

僕たちヒトという生き物は、日々様々な行動選択を行い、何かを感じていきます。生き物としての優劣をつけるわけではありませんが、他と比べると生涯のモデルは画一的でありません。例えば、アリの人生とヒトの人生を比べたら、その数に対しての生涯の多様性はヒトの方が多岐に渡ると思います。僕たちヒトの人生は、とりわけ個別化が激しいものといえるでしょう。そんな世の中や人生を生きるためには、自分らしさ自分だからこそ、というキーワードを問うことが大事なのかな、と思っています。

 

ですが、昨今のデジタル化の超スピードと大量のサービス開発に、僕たちは少なからず受動的に享受してしまう部分があるはず。

(あ、出たなデジタル社会へ刃向かう論者、と思ったそこのあなた、落ち着いて最後まで読んでください。笑)

人類史上最も、時間軸に対する物事の発展スピードが凄まじいのではないかと思っています。

でも冷静に考えてみてください。いろんな生き物は何十年何百年と時間をかけて様々な生物的発展を遂げていますよね。あれ、ヒトってどうなんだろう?僕の所感ですが、物事の進展に対してヒトの生物的発展が追いついていないんじゃないでしょうか。

 

僕たちは、もっと脳みそを原始的回帰させて、

この世界を生きた方が生きやすいのかもしれないです。

  

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。大変申し遅れましたが、田中椋也といいます。(以後、りょーやと名乗ります。)今は大阪大学国語学部 英語専攻に属し、認知言語学を主として学んでいます。来年度からは、立命館大学 人間科学研究科 臨床心理学領域に進学する予定です。

「個別最適な生きやすさを芽生えさせ、そして守り、育てる」

を人生のMissionにし、その取り組みの1つとしてこのブログを書くことを決めました。このブログを通して、少しでも人々に"生きやすさ"を自分の学びとともにお届けできれば、と思っています。

 

ここからはこのブログの目的と各記事の構成ついてお話させていただきます。

目的

1. 現代人の脳みそを原始的回帰させたい。

2. 明日の僕たちの生きやすさに繋がるような問いと知識を投げかけたい。

 

構成内容

|1. まとめ

時間がない方や、とりあえずテーマと知識だけ知りたい!という人向けに、概要をまとめたものをここに書きます。

 

|2. 問いかけ

基本的に問いを投げかけていきたいと思っています。ほんの少し時間をとって、自分の日々とこころに問いかけて、よかったらお友達や大切な人にも勧めてみてください。

 

|3. 心理学の知識と"生きやすさ"の考察

問いに対して僕が知っている限りでの範囲ですが、心理学に関する知識とそれを踏まえた考察を書いていきたいと思っています。問いを考える上での主な観点として使っていただけると嬉しいです。

 

実際にこの通りに今後進めていくのかは断言できませんが、とりあえずはこの方向でいこうと思います。またこうした方がよいのでは?等のご意見があればいただけると幸いです。

今回はこの辺でおしまいにしようと思います。ちなみに早速、1つ投稿してみたので、よかったらまた読んでやってください。笑

cl-psy-ryoya0617.hatenablog.com

 

ではでは。